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静岡地方裁判所 昭和42年(わ)157号 判決 1970年3月13日

主文

被告人柏木俊孝、同山田洋をそれぞれ懲役二月に、被告人栗田寛を懲役一月に処する。

被告人三名に対し、この裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は別表記載のとおり被告人等の負担とする。

本件公訴事実中被告人栗田寛に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の点は無罪。

理由

(高教組の組織及び被告人等の経歴)

静岡県高等学校教職員組合(以下高教組と略称する)は、静岡県立の高等学校及び特殊学校に勤務する教職員約一、五〇〇名(昭和四三年現在)をもって組織され、これを県下八地区に分け、その下部組織として地区内の各学校毎に分会を置く職員団体であり、

被告人柏木俊孝は、昭和二八年四月静岡県立韮山高等学校教諭に就任し、昭和三六年四月同県立三島南高等学校に転勤して以来同校に在職し、この間高教組組合員として、分会長、副地区長、地区長等を歴任し、昭和四一年四月からは本部書記次長(専従)となったもの、

被告人栗田寛は、昭和二八年六月静岡県立下田北高等学校教諭に就任し、昭和三五年四月同県立静岡工業高等学校に転勤して以来同校に在職し、この間高教組組合員として、昭和二九年四月から同三一年三月まで本部書記次長(専従)、その後地区長、分会長、副分会長等を歴任し、本件当時は静岡工業高校分会副分会長であったもの、

被告人山田洋は、昭和二九年五月静岡県立富士高等学校教諭に就任して在職中、昭和四一年一二月二三日地方公務員法違反により免職処分を受けたが、高教組組合員として昭和三二年四月から同三四年三月まで本部書記次長(専従)、同三四年四月からは本部書記長(専従)となったものである。

(本件発生に至る経緯)

一、県教委と高教組との従来の交渉の経過

(一)  高教組、静岡県教職員組合(以下静教組と略称する)及び静岡県職員組合(以下県職組と略称する)の共闘組織(以下三者共闘と略称する)は、昭和三八年一二月静岡県知事に対し年末要求を行ったが、これに対する県知事の回答を不満として同月初旬から連日のように数百人の組合員を動員して静岡県庁舎内に立入り、知事、副知事等に面会を要求して喧騒をきわめたので、県知事は右三者の統一交渉を拒否するとともに交渉の正常化を強く要求し、その結果県会議員の斡旋で「交渉の正常化及び能率化を図るため交渉は少数の代表者によって円満に解決するよう双方努力する」との覚書が同年一二月末県知事と県職組、県教育委員会(以下県教委と略称する)教育長鈴木健一と静教組との間でそれぞれとり交された。

(二)  しかしながら、高教組は、所謂集団交渉は争議行為等を禁止された公務員組合にとって組合員の要求や労働条件を守るためきわめて重要な権利であるにも拘らず、当局側が法的根拠もなく長年の労働慣行を無視してこれを一方的に否認するのは不当であるとして、県教委に対して覚書調印を拒否した。これに対して県教委は、高教組が覚書に調印しなければ今後交渉に応じないとの態度をとったが、それ以後も翌三九年五月頃までは県教委総務課長を通じて高教組と勤務条件に関し事実上の話合いは行っていた。ところが同年六月初旬、高教組は県教委に対し夏期要求書を提出して交渉を求めたところ、覚書調印を拒否していることを理由にこれを拒否されたため、同月下旬頃から七月下旬にかけて交渉再開を要求して連日のように二〇乃至三〇名の組合員を動員して県教委事務局総務課に入りこみ総務課長に面会を求めた。このため県教委は、同月二八日総務課長を通じて高教組本部に対し今後一切面会しない旨申し入れると同時に、静岡県庁内管理規則に基づき以後高教組組合員の総務課への立入りを禁止する措置をとるに至った。

(二)  以後県教委は、高教組からの再三にわたる交渉申入れに対し、一切の交渉を拒否する態度をとってきたが、ILO八十七号条約の批准に伴い昭和四一年六月地方公務員法の改正規定が施行されて交渉の手続が同法五五条に明定され、高教組が職員団体として県人事委員会の登録を受けたため、同年九月頃から高教組と予備交渉に関する手続について交渉を再開するに至ったが、後記の一〇・二一闘争の処分問題が発生したため、高教組との交渉は再び途絶した。

二、一〇・二一闘争の処分とそれに対する撤回要求

(一)  高教組は同年一〇月二一日日本教職員組合(以下日教組と略称する)の指令により人事院勧告完全実施・地方財源確保等を要求して半日休暇闘争(以下一〇・二一闘争と略称する)を行ったため、県教委は同年一二月二三日右闘争に参加した高教組組合員七六名全員に対し、地方公務員法違反として高教組執行委員長本田悦郎、同書記長被告人山田以下免職五名、停職二一名、減給一七八名、戒告五六〇名の懲戒処分を行った。

(二)  これに対して高教組は、一〇・二一闘争は憲法に保障された労働基本権に基づく正当な組合活動であるから処分自体不法であり、そのことを別にしても、右処分は高教組の組織破壊を狙ったきわめて苛酷な処分であるうえ処分理由も曖昧であるとして、同日静岡県労働組合評議会(以下県評と略称する)指導の下に右処分撤回を要求して闘争体制に入ることを決定し、翌一二月二四日県評、日教組、三者共闘等の各代表及び高教組組合員約三〇名は県教委教育次長室において教育次長上原三之に面会し、右処分について抗議するとともに教育長諏訪卓三と会見させるよう要請した。

県教委は、前記地方公務員法の改正により所謂管理運営事項は交渉の対象とすることができない旨同法に明定されたところから、右改正法施行後は懲戒処分、人事異動の実施等人事権の行使に関する事項は一切右管理運営事項に含まれ、職員団体との交渉の対象外であるとして、これらの事項に関する交渉を一切拒否する方針をとるに至ったが、前記組合側の要請に対しては、県評からの申入れでもあるので右処分問題について事実上の話合いとしてこれに応ずる態度をとり、同月二六日県教委教育長室において諏訪教育長、上原教育次長等当局側は県評、高教組等の組合側代表と会談し、組合側代表は高教組組合員約二〇〇名の動員を背景に処分の不当性を追求してその撤回を要求し、その結果、組合側は教育長から、(1)処分について誤りがあれば訂正する。(2)処分は一〇・二一闘争を対象としたものであるが、処分内容を決める場合これまでの組合活動も裁量に入っている(3)全国の処分内容を調査し処分が重ければ教育委員に報告し、必要があれば組合代表が教育委員に面会できるよう努力する(4)処分理由については校長に説明させる(5)校長の説明で納得できない場合は校長同道で県教委に来れば県教委が説明する旨の確認を得、以後高教組は昭和四二年一月末まで各分会において処分理由の説明を要求して所謂校長交渉を行った。

(二)  高教組は、それまでの校長交渉の結果を集約したうえ同年二月一一日第一六回臨時大会を開催し、同年三月に予定される年度末人事異動における不当人事を阻止するためにも処分反対闘争を強力に推進することの重要性を確認し、二月一三日から再び連日のように県評、静岡地区労若しくは高教組の組合員数十乃至数百名が県教委事務局に赴き当局側との面会を要求する等し、当局側が組合代表者との会見を屡々延引し、また事務局職員が集団による面会要求には応じられないとして責任者への取次をせず入室禁止の措置をしたりしたことから、県教委企画室分室に組合員多数が滞留して執務に支障を生じたり、県教委事務局廊下が喧騒状態となることが屡々あり、二月二〇日には同分室出入口扉の硝子が割れ、同年三月一五日には同分室出入口扉の硝子にひびが入るなどの事故が発生した。

しかしこの間、教育長、教育次長と県評、高教組代表者等組合側との間で四回、教育委員長、教育長等と組合側との間で三回、右処分問題についての話合いが行われ、同年三月八日の話合いにおける県評代表からの提案に基づき、三月一八日の小林教育委員長、諏訪教育長と組合側との話合いにおいて、右処分問題及び険悪化した県教委高教組間の関係改善についての話合いを以後継続して行うため小委員会(県教委側―教育委員長・教育委員二名・教育長・教育次長、組合側―県評代表一名・県職組・静教組高教組代表一名により構成)を設置することが決定され、これにより県評、高教組の右処分問題をめぐる闘争は一応の落着をみた。

三、昭和四一年度末定期人事異動の内示とそれに対する修正要求

(一)  県教委は、昭和四二年三月二二日午前九時ごろから各校長を通じて県立高等学校教職員の昭和四一年度末定期人事異動の内示を行い、翌三月二三日午後三時右異動を決定のうえ新聞記者に発表することとした。右内示は学校間、地域間の格差是正及び同一校永年勤続者の配置換に重点をおいた五八八件に及ぶ大幅な人事異動であった。

高教組本部執行部は、同日午後緊急執行委員会を開き、各地区、分会からの報告をもとに検討した結果、右異動内示は、手続的には従前慣行として行われてきた対象者本人の意向打診を全く行わず、また内示と決定との間に時間的余裕を殆どおかない等昭和三八年一月一七日教育長鈴木健一と高教組執行委員長頼永五朗との間でとり交された覚書の趣旨に反し、また内容的にも、組合役員及び組合活動家に対する組合活動を著しく困難にする組合対策人事、退職勧奨を拒否した高齢者組合員に対する報復人事及び本人の意思を全く無視した配置換を六九件も含み、それらの中には、通勤の不能若しくは困難なもの、生活の破壊をもたらすもの、免許外教科の担当を命ずるもの、全日制から定時制、通信課程への配置換を命じたもの等が多数存在し、高教組の組織破壊を狙った一〇・二一闘争の処分に対する追打ち人事であるとして直ちに闘争体制に入り、三月二三日には各地区に対して動員の指令を発した。

(二)  そして、三月二二日午後四時ごろ本田執行委員長、被告人山田ら高教組組合員約三〇名は県教委事務局に赴き、無断で教育次長室に入室し、執務中の上原教育次長に対し右異動について抗議し、その際の約束に従って同日午後五時ころ高教組本部に赴いた上原教育次長に対して、被告人山田ら高教組組合員は右異動内示の不当性をその根拠をあげて説明するとともに教育委員長、教育長との会見を実現させるよう強く要請し、上原教育次長もそのため努力することを約した。一方本田執行委員長は同日午後一〇時頃小林教育委員長を自宅に訪問して組合側との会見の機会をつくるよう要請し、同教育委員長から善処する旨の回答を得た。

この結果県教委側は、前記のように人事異動の実施等は一切交渉の対象外であるとの態度をとりながらも、翌三月二三日正午頃教育長室において、小林教育委員長、諏訪教育長が県評代表青木薪次、松本広、高教組代表本田委員長、被告人山田と会見し、席上組合側は四十数件の異動をとりあげその修正を要求し、これに対して当局側は、同日午後三時に予定していた新聞記者への異動発表を延期し、再検討する旨約した。

そして、同日午後の教育委員会で小林教育委員長から再検討を指示された諏訪教育長は、同日午後四時頃から県教委事務局で右異動内示について再検討したが、同日午後九時過ぎ頃変更の必要はないとの結論に達した。

(三)  一方県評、高教組組合員は県評事務局において右再検討の結果についての回答を待っていたがなかったため、本田執行委員長は同日午後一一時ころ諏訪教育長の自宅に電話して翌朝教育長宅で会見する旨の約束をとりつけ、翌三月二四日午前七時頃被告人山田と共に教育長宅を訪問したが、その際諏訪教育長から内示原案どおり同日午前一〇時半に新聞発表する旨告げられるや、更に細部にわたって説明し重ねて再検討を要請したところ、諏訪教育長は同日の上京予定を中止し、県教委事務局で検討してのちほど連絡する旨返答した。

四、本件直前の状況

一方異動内示の再検討に強い関心を持つ高教組組合員はその結果を聞くため同日午前八時ころから続々と静岡市駿府町一番一二号高教組本部に参集した。このため教育長宅から同組合本部に戻った本田執行委員長、被告人山田ら本部執行部は、同日午前九時過ぎころ右組合員を同町所在の歯科医師会館に集合させ、二二日より二四日早朝の教育長との会見に至る間の折衝の経過を報告したが、右報告を終了するも教育長から右再検討の結果につき連絡がなく、一方新聞発表の時刻が切迫し、右発表の後には異動決定の変更が困難となるため、焦躁にかられた組合員達は直接教育長に面会して右異動内示の再検討の結果を聞くとともに、その変更を要請して交渉を行うことを決し、同日午前九時四五分頃本田執行委員長以下被告人山田、同柏木、同栗田ら高教組組合員約二〇〇名は右会館を出発して同市追手町九番六号静岡県庁別館四階の県教委事務局に向った。

これに対して県教委企画室分室では、企画室長補佐鈴木英徳がそれまでの高教組の動静並びに高教組組合員約二〇〇名が県庁別館に向って来る旨の県教委事務局職員の通報をもとに、県教委企画室調査統計係長三浦保外二名を同室前廊下に立たせて警備兼応待にあたらせるとともに、同室出口入扉を閉め内部ドア付近にも事務局職員数名を配置する等の警戒態勢をとった。

(罪となるべき事実)

被告人柏木、同栗田、同山田は高教組組合員約二〇〇名と共に、前記のように諏訪教育長に面会して前記異動内示の再検討の結果を聞き、その変更を要請して交渉を行うため、同日午前一〇時ごろ静岡県庁別館に赴き、

第一、被告柏木は、同日時ころ右組合員約二〇〇名の先頭に立って前記別館四階に到り、直ちに同階県教委企画室分室入口前廊下に赴き、同所において警備兼応待の配置についていた前記三浦保外二名に来意を尋ねられるや、続いて来た高教組組合員数名と共に、同人等に対し「教育長に会わせろ」等と申し向け、同人等が「今日は教育長はおりませんのでお会いできません」と答えるやいきなり「そこをどけ」等と申し向けて同人等の腕を引っ張る等して同人等を同所付近から実力で排除したうえ、組合員神尾賢一外同室出入口扉付近に居合わせた組合員数名と共同して、閉めてあった同室出入口扉二枚にそれぞれはめこまれた硝子をこもごも手挙で乱打する等して、静岡県知事管理にかかる前記扉の硝子二枚(時価合計約四、〇〇〇円相当)を破壊し、もって数人共同して器物を毀棄し、

第二、その頃被告人は高教組組合員約二〇〇名は、同別館四階の県教委総務課から学校教育課に至る県教委事務局前廊下並びに三階及び五階に通ずる各階段付近一帯にほぼ一杯に立ち並び喧騒状態となり、殊に、企画室分室及び総務課各出入口付近廊下においては、判示第一の犯行後も引続きそれぞれ組合員数十名が群がって「あけろ」等と叫びながら各出入口扉を激しく手拳で乱打し足で蹴る等喧噪をきわめたため、同庁内の管理責任者である県出納事務局長飯塚正二から静岡県庁内管理規則に基づいて県管財課員青木清吉外二名を通じて同日午前一〇時一九分頃より再三にわたって携帯マイク一個及び携帯掲示板二個を使用して直ちに庁舎外に退去されたい旨要求されたにも拘らず、被告人三名は前記高教組組合員約二〇〇名と共謀のうえ、右要求に応ぜず前記廊下及び各階段付近一帯に滞留し、更に同日午前一〇時三〇分頃右出納事務局長の要請により出動した静岡中央警察署警備課長高橋辰夫より同署巡査部長宮下積を通じて退去の警告を受けるや、被告人山田の指揮により前記廊下及び各階段一杯に坐り込む等して、同日午前一〇時五〇分頃まで庁舎外に退去しなかっ

たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)≪省略≫

(弁護人等の主張に対する判断)

(一)  弁護人は、

本件公訴事実中、第一の事実は犯罪の嫌疑が全くないが、少くとも極めて不十分で到底公訴を維持できず、また第二の事実も正当な労働運動として犯罪を構成せず、仮りに検察官の立場からすれば犯罪を構成するものと解されるとしても、その態様を他の圧力団体による同種行為と比較するとき不起訴処分に付するのが当然であるにも拘らず、検察官がこれらを起訴したのは、労働組合運動を弾圧する意図のもとに、積極的な組合活動家をねらいうちして起訴したものであって、いずれも憲法一四条、二一条、二八条に違反し、公訴権を濫用したものであるから、本件公訴は棄却されるべきである、

と主張する。

しかしながら、本件公訴事実中被告人柏木に対する第一の事実及び被告人三名に対する第二の事実がいずれも犯罪として成立することは、判示認定のとおりであり、また、被告人栗田に対する第一の事実についても、当日硝子損壊状況を目撃した県教委事務局職員の供述によれば犯罪の嫌疑がかなり濃厚であったことは否定できず、更にこれら公訴事実の罪質、情状を検討してみても、検察官が起訴不起訴の裁量の限界を踰越したものとは認められず、また検察官が労働組合運動の弾圧若しくは積極的な組合活動家の弾圧を意図して著しく公正を欠く裁量を行ったことを窺わしめる証拠も存在しないので、検察官の本件公訴提起の手続に違法があるものとは認められず、弁護人の右主張は採用することができない。

(二)  弁護人等は、

本件公訴事実中冒頭の「一〇・二一闘争の処分および県教委が昭和四二年三月二二日に内示をした昭和四一年度末教職員の定期人事異動に関し、これ等は同組合の弱体化を目的とした不当処分および不当人事であると主張して、右処分の撤回および右人事異動の変更を要求し、昭和四一年一二月二三日以降県教委に対し、そのための面会を求めてしばしば集団で押しかけていたが、これに対する県教委側の態度を不満として組合員多数を動員して県教委の教育長をして右処分の撤回および人事異動の変更はさせようと企て、同四二年三月二四日午前一〇時頃、高教組組合員約二〇〇名と共に県教委企画室分室に押しかけ」なる記載は、人事異動の内示が昭和四二年三月二二日になされたのであるからそれ以前の交渉はありえず、また当日企画室分室へ赴いたのも一〇・二一闘争の処分撤回を目的としたものではないにも拘らず、本件行動を強引に一〇・二一闘争と結びつけ、集団でしばしば押しかけていたことを強調することによって、裁判官に本件が悪質であるとの予断を生ぜしめるものであり、また本件第一公訴事実中の「共同して分室出入口前廊下において三浦外二名に対し『教育長に会わせろ、そこをどけ』等と叫び、同人等を実力で排除し」なる記載も、訴因を明確にするため必要な記載とは言えないにも拘らず、これを記載することによって裁判官に本件が悪質であるとの予断を生ぜしめるおそれがある。従って、本件公訴提起は刑事訴訟法二五六条六項に違反し無効であるから、本件公訴は棄却されるべきである、

と主張する。

けれども、本件公訴事実冒頭の右記載部分は、被告人等が本件犯行現場へ赴いた目的およびそれと密接不可分な事項の記載であって、措辞において若干適切でない箇所がないとは言えないが、全体として、退去要求の正当性及び不退去に相当の事由が存在しないことを明らかにするため必要な事実の記載と認められ(なお、当日被告人らが県教委事務局へ赴いたのは、一〇・二一闘争の処分撤回を目的としたものでないことは判示認定のとおりであるが、≪証拠省略≫によれば、検察官が一〇・二一闘争の処分撤回の目的をも含めて当日被告人らが県教委事務局へ赴いたと判断したことも已むを得ないものと認められ、弁護人ら主張のように、検察官が証拠がないにも拘らず、裁判官に予断を懐かせる目的をもって殊更右事実を起訴状に記載したものとは認められない)、また本件第一公訴事実中の前記記載部分も、犯行の態様を明らかにし訴因を明確にするのに役立つので、この程度の記載は許容されるものと解すべきであるから、本件公訴提起に違法はなく、弁護人の右主張は採用できない。

(二)  弁護人等は判示第二の事実について

当日被告人等は他の組合員と共に、教育長が当日早朝に人事異動の内示の再検討を約したにも拘らず、再検討の結果を連絡してこないため、教育長からその結果を聞き人事異動に抗議する目的で県教委事務局に赴いたのであるが、人事異動は教員の教育計画、家庭生活等に甚大な影響を及ぼすものであるから、地方公務員法五五条一項にいう「その他の勤務条件」に該当し、従って当日被告人らの県教委事務局へ赴いた目的は正当であって、県教委はこれに応ずる義務がある。

そして、当日被告人等は数百人で県教委事務局へ赴いてはいるが、本件異動内示はその内容がきわめて不当であるうえ、当日午前一〇時三〇分に新聞発表が予定されており、その後においては異動を変更させることがきわめて困難となる緊急な状況下において、本部執行部が内示後の短時日のうちに組合員各自の人事異動に関する要望をとりまとめ、これらを分析整理して交渉にあたることはむつかしく、又昭和三八年末以降組合との交渉を一切拒否し右人事異動は管理運営事項なので交渉の対象外であるとして予備折衝にすら応じない県教委当局を交渉に応じさせるためには、団結の力を背景として交渉を要求する他ないことを思えば、被告人等が集団で県教委事務局へ赴いたのは当然であり、しかもそれらの組合員全員が教育長に面会して集団交渉することまでも要求していたものではない。

しかるに、教育長は再検討の結果を連絡しないのみか、県教委事務局にも姿を現わさず、県教委事務局職員はその来意を尋ねることもなく一方的に入室を拒否した。かかる県教委事務局の不誠実な態度に組合員が憤激して多少喧騒にわたったとしてもこれを責めることはできず、しかもそれによって具体的な執務妨害、通行妨害は発生していなかったにも拘らず、きわめて短時間のうちになされた本件退去要求は、正当なものとは言えず、被告人ら組合員が事務局前廊下から退去しなかったのは相当であって、結局被告人等の右行為は不退去罪の構成要件に該当せず、また、労働組合法一条二項にいう正当な行為に含まれるのでこの点からも無罪である、

と主張とする。

よって検討するに、本件当日被告人ら高教組組合員約二〇〇名が県教委事務局に赴いた目的は、県立高等学校教職員の昭和四一年度末定期人事異動の内示のうち、組合対策人事、退職勧奨拒否に対する報復人事及び本人の意思を全く無視した人事が六九件もあり、それらの中には生活の破壊や教育上の効果を無視したもの等が多数存在するとして、諏訪教育長に面会して、右異動内示の再検討の結果を聞くと共に、その変更を要請して交渉を行うにあったことは、判示認定のとおりである。

ところで、本件人事異動の如く、人事権の行使に関する事項はそれ自体としては、任命権者から権限の委任を受けた県教育長が、関係諸法令に従い自らの判断と責任においてこれを管理執行すべきものであって、地方公務員法五五条三項に定める管理運営事項に属し、交渉の対象とすることはできないことは明らかである。しかしながら、地方公営企業労働関係法七条に、「昇職、降職、転職、免職、休職、先任権及び懲戒の基準に関する事項」が労働条件に関する事項として団体交渉の対象となり得る旨規定されていることからも明らかなように、人事権の行使に関する事項であっても、それが勤務条件に関する事項と密接に関連する限り、その面においては交渉の対象とすることができるものと解すべきである。そして、前条に規定するような人事権行使の基準となる事項のみならず、本件の如く個々の人事異動についても、それが勤務条件に関する事項と関連する限り、その面においては、職員の地位安定の見地から、法令、書面協定あるいは慣行条理等に照らし当局の反省若しくは是正を求める意味において、交渉の対象とすることができるものと解すべきである。

従って、被告人ら組合員が当日教育長に面会しようとした目的それ自体は、地方公務員法五五条に定める交渉の対象となし得る事項であったと言うことができる。

そして右のように被告人ら組合員が県教委に赴いた目的は、県教育長と人事異動に関し交渉することにあったものと認められるが、本件においては、それに先だって、地方公務員法五五条五項に定める予備交渉がなされていなかったことは明らかである。一般に、予備交渉を経ない交渉の申入れは適法な交渉の申入れとは言えないので、当局側はこれに応ずべき義務を負わないものと解すべきであるが、本件においては判示認定のとおり、当時県教委は人事異動の実施等は一切交渉の対象外であるとの態度をとっていたのであるから、予備交渉に応ずることは期待できず、また予備交渉についての一般的手続の定めも、一〇・二一闘争の処分問題のため右手続をとり決める交渉が中断したことから未だ存在しなかったことを考えると、かかる事情のもとにおいては、予備交渉を経ない交渉の申入れが一概に不適法であるとは言えず、これに対して当局がそのことのみをもって直ちに交渉を拒否しうるものとは解せられない。

また、本件人事異動に関しては、当局側の内示以後本件発生に至るまでの間、当局側は二回組合側と事実上の話合いを行い、それに基づいて異動内示の再検討をなしているとは言え、本件人事異動は、例年に比較して当局の方針を強く反映させた大幅な人事異動であったにも拘らず、対象外の意向打診が全くなされず、内示と決定との間の日時が接近していたこと等従来の憤行や昭和三八年一月の覚書の趣旨に添わぬ嫌いがあって、組合は当局と更に交渉を行う合理的な必要性があったものと認められ(被告人山田、証人諏訪、同上原、同本田の当公判廷の各供述によって認める)、一方当局は当日午前一〇時三〇分に右異動を新聞記者に発表の予定で、発表後は異動決定の変更が困難であるところから緊急に交渉を行うことを要し、しかも前記のように県教委は人事異動の実施等は一切の交渉の対象外であるとして交渉を拒否する態度をとっていたことなど当時の事情を彼此併せ考えると、当局側としては、組合側から交渉の申入れがなされた場合には、申入れられた交渉の目的及び態様が適法なものである限り、交渉申入れ行為自体がある程度多人数によって行われ喧騒となったとしても、これを忍受すべきであって、これに対して直ちに退去を要求しうるものとは言えない。

しかしながら、被告人ら組合員の県教委事務局前廊下における当日の行動を検討するに、判示認定のように、被告人柏木は、組合員約二〇〇名の先頭に立って県庁別館四階廊下に到り直ちに同階県教委企画室分室入口前廊下に赴き、同所において警備兼応待の配置についていた三浦保外二名の県教委事務局職員に来意を尋ねられるや、続いて来た高教組組合員数名と共に同人等に対し「教育長に会わせろ」等と申し向け、同人等が「今日は教育長はおりませんのでお会いできません」と答えるや、いきなり「そこをどけ」等と申し向けて同人等の腕を引っ張る等して同人等を同所付近から実力で排除したうえ、同所付近に居合わせた組合員数名と共同して閉めてあった同室出入口扉を手拳で乱打する等して扉硝子二枚を破壊し、その頃には、被告人ら高教組組合員約二〇〇名は、同階の県教委総務課から学校教育課に至る県教委事務局前廊下並びに三階及び五階に通ずる各階段付近一帯にほぼ一杯に立ち並び喧騒状態となり、殊に、企画室分室及び総務課各出入口付近廊下においては、それぞれ組合員数十名が群がって「教育長を出せ」「あけろ」等と叫びながら右各出入口扉を激しく手拳で乱打し、足で蹴る等喧騒をきわめていたことが認められるところ、被告人柏木等の右三浦等に対する教育長との面会要求を、一応交渉の申入れと解することができるとしても、既に一〇・二一闘争の処分撤回や本件の年度末人事異動を廻って従前から右分室に多数の組合員が入室滞留して県職員の執務に支障を生ずることのあったことを考えると、これを避けるため県教委事務局が出入口扉を閉めて、三浦外二名を分室前廊下に立たせ警備兼応待にあたらせたことも一概に不当な措置とも言えず、また前記のとおり同日の組合員等の交渉の目的それ自体は交渉の対象となし得る事項であったとしても、同日組合員等が如何なる態様での交渉を意図していたかは証拠上明らかではないけれども、少くとも三浦等が同日の被告人柏木等組合員の言動から右交渉申入れを所謂集団交渉の申入れととったとしてもある程度已むを得ない情況にあったものと認められる。本来、交渉は双方の納得に基づく合意を目的として平穏に秩序に従って行われるべきものであるから、交渉それ自体を直接の圧力手段とする集団交渉の申入れは適法な交渉の申入れとは認められず、従って三浦等が、被告人柏木等組合員の面会要求に対して「今日は教育長はおりませんのでお会いできません」と拒否的態度をとったことも、これを一概に非難することはできない。

これに対し、被告人柏木等組合員は三浦等に当日の交渉の目的、形態、その必要性等につき何らの説明、説得等を試みることなく≪証拠省略≫によれば、三浦等がこれを全く受けつけない方針であったとも認められない)、同人等を直ちに実力で排除し、教育長に面会するため集団の力で室内に押し入ろうとして前記のような状況を惹起するに至ったもので、県教委側は組合側との二回の話合いに基づき一応の再検討は行っていること(弁護人主張のように、右再検討が全く形式的なものにすぎなかったと認めうる証拠はない)。教育長は当日早朝の再検討の約束に基づき、その結果を松本県職組委員長に伝え、高教組への連絡を依頼していること(≪証拠省略≫により認められる)、県教委が高教組に対し交渉を拒否する態度をとるに至ったのは、高教組が適法な交渉形態とは認められない所謂集団交渉の慣行の維持に固執したことにもその一因があると認められること、人事異動の交渉は決定(新聞発表)後では全く無意味となるものとも認められないこと(例えば、≪証拠省略≫によれば、昭和三六年度末人事異動においては、決定後にも修正されたことが認められる)等の諸事情に鑑みると、もはや当日の被告人ら組合員の行動は社会通念上相当なものとして許容される限度を逸脱したものと言わざるを得ず、かかる状況のもとで県出納事務局長が静岡県庁内管理規則六条各号に該当するとして被告人ら組合員全員に対して庁舎外へ直ちに退去を要求したことは相当であって、これに対し退去しなかった被告人らの行為は正当なものとは言えず、従って弁護人の構成要件に該当せず、若しくは労働組合法一条二項による正当な行為として違法性を阻却する旨の主張はいずれも採用することができない。

なお、弁護人は、静岡県庁内管理規則は物的管理権の範囲を越えて公物警察権の行使に該る事項についてまで規定しており、憲法九四条に違反し無効である旨主張するので付言するに、静岡県知事は地方自治法一四九条六号により、県庁舎及びその敷地について管理権を有することは明らかである。従って、県知事は、一般私人が所有権等に基づいて正当の理由のない自己の住宅、事業場等への立入り、使用等を制限、禁止し、あるいは正当の理由のない滞留に退去を要求する等の措置をとることができるのと同様に、公権力の行使又は優越的な意思の発動としてなすのでない限り、唯単に県庁舎等を財産として管理するだけでなく、行政庁としての本来の目的を達成させるため必要な範囲内においては、右管理権の作用として、庁内への立入り、使用の制限等の措置をとることができ、またそのための一般的準則を定め得ることも当然である。

そこで、静岡県庁内管理規則の内容を検討するに、同規則は県庁舎等が県職員の執務の場所であることから、県庁舎等を財産として管理すると共に、執務遂行のために管理するための準則を定めたもので、右規則が管理にとって必要な範囲をこえて、公衆が正当の理由をもって県庁舎等へ立入ることまでも制限しているものではないし、また管理の方法、手段の点においても、所定の禁止及び措置等に違反した場合にこれに対して行政上の強制措置をとり得ることが定められていないことからも明らかなように、右規則は管理権者が公権力の主体として相手方に公法上の義務を負わせる法規としての性質を有する定めを含んでいるものでもない(右規則に基づいてなされた退去要求についても、その相当性は一般私人におけるそれと同様に、裁判所が諸般の事情を考慮して自由に判断し得る)。従って右規則を捉えて弁護人主張のように憲法九四条に違反し無効な管理規則と断ずることができないことは明らかである。

よって弁護人の右主張は理由がない。

(一部無罪の理由)≪省略≫

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石見勝四 裁判官 高井吉夫 河合治夫)

<以下省略>

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